Beacon Pines
- Steam/GOG
- 2022年9月22
日本語未対応です。 夏休みを過ごす子供たちの小さな冒険が、ある秘密へと彼らを導きます。 2Dのアドベンチャーですが、ミステリーでありながら、子供たちの冒険譚というノスタルジーでもあります。
プレイヤーは未完の物語を読む人になり、そして同時に物語を決める人になります。その物語の中では、子供たちが夏休みを有意義なものにしようと計画を立てていました。 主人公の Luka は親友の Rolo と一緒に街の外れにある施設へ向かいます。そして、今は使われていないはずのその施設から、防護服を身に着けた人が出てくるのを目撃します。 それをきっかけとして彼らは様々な謎に遭遇し、時には危険な状況にもおちいります。そしてプレイヤーは彼らの "様々な結末" を体験しながら、最良の結末へと導きます。
物語には分岐点があり、そこでプレイヤーが何を選ぶかによって物語が決まります。 分岐点での選択肢は「Charm」と呼ばれ、それらは Luka が様々な体験をすることで増えていきます。例えば、タンポポの種が舞う場所を通ってクシャミをしたときは「Tickle(くすぐる)」という Charm を獲得します。 獲得した Charm のうちどれを使えるかは分岐点によって異なります。また、分岐点での選択はいつでもやり直すことができます。 ときには Charm が足りなくて物語が止まってしまうこともありますが、新たに獲得した Charm を試すことで、再び物語を進めることができます。
ゲームプレイですが、プレイ時間は6~8時間ほどだと思います。ただ、これは英語がペラペラな人の場合で、私の場合は辞書で単語を調べながらプレイして30時間かかりました。 絵が素晴らしくて、キャラクターをじっくり眺めて楽しんでました。特に Luka のおばあちゃんの絵が大好きで、髪や眼鏡や服などの細かい描写が本当に素晴らしいです。 また、テキストの進行に従ってスムーズにBGMが切り替わったりするなど音に対するこだわりも感じました。そして私は、どうしてなのか分からないのですが、大きなスイカを叩いたときの音が気持ちよくて、その場所に行ったときは必ず意味もなく連打してました。 物語についてはミステリーなだけではなく、人々の抱える悩みや苦しみ、そして主人公 Luka の心の救済についても描かれています。これについてはネタバレになってしまう可能性もあるため詳しくは書けないです。
プレイ中は子供の視点という感覚から外れることがありませんでした。物事を客観的に見つめ行動するという大人な感覚ではなく、ただ興味や欲求や恐怖の中にいるという感覚が常にありました。 その物語は、Luka たちを危険な状況におちいらせることもありますが、そこに大人が駆け付けて解決するといったことはなくて、Luka たちの行動によって何とかしなくてはならない。 そうして Luka を操作しているうちにプレイヤーは、実際は大人でも何が起こっているのか理解できない謎の数々を "子供だから分からない何か" であると感じるようになります。そして同時に "大人というのは良く分からない存在である" とも感じるようになり、まるでプレイヤー自身が子供になったかのように思えてきます。 さらには、子供には分からない何かという感覚が、不気味さや怖さといったサスペンスに化けます。
物語の分岐はゲームを楽しませるためのシステムとしてだけでなく、各登場人物たちが何者なのか、そのとき何をしているのかを説明するための手段にもなっています。 物語を進めているとき、そこでは語られていない誰かがどこかで行動している。それを知らないとメインのルートの物語は理解できません。 プレイヤーは分岐によって時間を行きつ戻りつしながら何かを知り、やがてすべてを理解する。それはまるで時系列を無視して描かれる群像劇のようです。
中盤を過ぎるまではプレイヤーも何が起こっているのかを理解できずにいるのですが、それ以降は誰が何者であり、そして何をしているのかをほぼすべて理解している状況になります。それは「プレイヤーは知っているが Luka たちは知らない」という状況なのですが、それによって謎に満ちたミステリーからハラハラドキドキなドラマへとプレイヤーの体験が変化し、そしてその変化が物語の終わりを予感させます。 物語の終盤はとてもゲームらしいものであり、ラストもゲームらしい終わらせ方でした。これについてはもしかしたら気に入らない人もいるかもしれません。でも、そのゲームらしい軽さのようなものは、私の感覚を大人のそれへと引き戻すオチとして機能しました。そしてその世界を外側から眺めて物語を振り返ったとき、何か特別な体験をしたかのように感じました。
Beacon Pines。 こういったゲームに出会うと、プレイ体験について説明することの難しさを思います。 ビデオゲームを "ゲームとしてのビデオゲーム" と "表現としてのビデオゲーム" に分けたとき、ゲームとして説明するなら、このゲームは物語の分岐を持つアドベンチャーであり、そのシステムが映画「パルプ・フィクション」のように時系列の混乱を招くゲームです。そして表現として説明するなら、小説「スタンド・バイ・ミー」のようにミステリーとノスタルジーを行き来しつつ、主人公の救済を試みるゲームです。 しかし、そうやって個別に説明してもプレイ体験は表現できません。なぜなら、それらはひとつのコンテナの中に詰め込まれ、コントローラーを操作することで結び付き、最後は区別できなくなるほどに混じりあうからです。 様々な要素が混ざって出来上がったもの。それがビデオゲームのプレイ体験であり、そして Beacon Pines のそれは、確かに子供たちの夏休みでした。