The Talos Principle

  • Steam/GOG
  • 2014年12月12日

3Dのパズルゲーム。 初めのうちは、どうして "人であること" を哲学で語る舞台としてパズルゲームを選んだのだろうと思っていた。しかし2時間ほどプレイして、なるほどパズルゲームと哲学だと何故か納得できた。 ひたすら解法を考え、何度も間違いを修正し、やがて正解にたどり着く。その繰り返しは、時折目の焦点をモニターから外し別のことを考え始めてしまうほどのつらさだが、確かな答えがあるパズルと、分からなければ放置しておけばいい哲学と、はたしてどちらのほうがましだろうか。

主人公はアンドロイドで、「印象」というアイテムを集めるためにパズルを解く。印象はいわゆるテトロミノになっていて、それを使用して各エリアへの扉を開いていく。 パズルを解くための各ギミックは5種類あるが、初めからすべて使えるのではなく、印象を集めることによってアンロックしていく。 各エリアにはパズル用の部屋が7つずつ用意されていて、プレイヤーはどの部屋にも自由に出入りできる。どのパズルを解くかもプレイヤーの自由だが、特定のギミックをアンロックしてからでないと解けないパズルもある。

ゲームを少し進めれば、その世界は現実ではなくプログラムによるシミュレーションであるということが分かる。主人公はAIであり、何かの目的のためにパズルに挑戦させられている。 他にも同じようにパズルに挑戦した "先人たち" がいて、彼らは様々な場所にメッセージを残している。それらはパズルを解き続けることについてだけでなく、自分は何者なのかといった苦悩に至るものもある。 また、フィールドには多数のターミナルが設置されていて、それを利用して現実の世界で何が起きているのかといった情報を入手できる。

ゲームプレイについては、まずプレイ時間は18~30時間ほどと相当な幅があるはず。マルチエンディングとなっているので、すべてのエンディングを見るとなると30時間で考えるのがいいと思う。 音楽はとても物悲しく、主人公が何者で何をしているのかといったことを本当に上手く表現できていると思う。 パズルだけを楽しんでも問題ないが、テキストを読んでゲームの世界に対する理解を深めればより楽しめる。しかしやはり哲学なので、真面目に考えすぎると読むのがつらくなってくる。だからパズルに疲れた時の息抜きと思って読んだほうがいい。特に様々な問いかけに対して答えを出そうなどと考えてはいけない。あくまでもパズルに集中するべきだ。

パズルは難しいけれど、ほとんどは自力でなんとか解ける難易度でもある。問題は数が多いので圧倒されてしまうことがあるということ、そして自分以外は誰もいないことに対する寂しさが、広いマップと物悲しい音楽によって呼び起されるということだ。 しかし私はあることに気づいた。パズルと広いマップというのは案外相性がいいものだと。パズルを解き続けることに疲れ切ったとき、その美しい景色は私を癒してくれる。不安や寂しさは、きっとパズルを解き続けることによって解決するはずだと、そう信じさせてくれる。 マップは無駄に広いと思えるかもしれないが、そこかしこに配置されているメッセージや隠しターミナルが探索の意欲を掻き立て、そして現実の世界の人間が残した音声による記録が、重い使命を果たすための勇気を取り戻させてくれる。

私はプレイ中に「一人きりだから何だというのか」と強気を保っていたが、塔を登るときにそれが強がりであることを思い知らされた。 塔を登り屋上にたどり着くとやはりパズルが待ち受けていた。「ああ、これで最後に違いない」と覚悟を決めて進むと、一体のアンドロイドがいた。その名前を確認すると、塔の入口にメッセージを残してくれていたAIだった。そのAIはかつて塔に登ろうとしたが失敗し、しかしいつかここにたどり着くであろう私のようなAIを助けるために、シミュレーションの世界に残ったのだ。 そのAIが私のためにスイッチを押す姿は、安心であり、勇気であり、そしてこの先には確かに何かがあるという希望でもあった。 そう。どれだけ美しい景色に癒され、人間の思いを知ることで自らを鼓舞したとしても、不安や寂しさは常に私に襲い掛かり、私を圧倒していたのだ。しかしそれは、そのAIの姿を見ただけで解決してしまった。あとはパズルだがそれも問題ない。一人で解き続けてきたものを二人で解けない道理はない。 そして最後のパズルを解いたとき、そのAIはぎこちなく手を振り、消えた。また一人になってしまったが、もう不安や寂しさはない。 初めから一緒に解いてくれればいいのにとも思ったが、このゲームにそれを要求するのは流石に野暮だろう。

あるとき「ア"ア"ア"ーーーー」という声が聞こえて、最初は幻聴かと思ったが段々と声が大きくなってきたので必死で周囲を見回した。すると映像によって記録された他のアンドロイドが私のほうに走り寄っていただけだった。 間違いなく私の心拍数は上がっていたと思うし、脳内ではガトリングを構えていた。そうだった。このゲームのディベロッパーは「Serious Sum」のCroteamだ。なるほど、馬鹿野郎。 それとCroteamは "広い" という感覚を提供するのが上手いと思う。必要なものと省いてもいいものの選択が絶妙で、LODやShaderなどの調整も上手いのだろう。 塔に上ったときの雲の表現も工夫されていて、真面目にVolumetric EffectsやParticle Systemで描くのではなく、2Dの雲の絵を多数配置してそれがカメラに対して常に正面を向くようにするという方法で表現している。これはモノリスソフトが「ゼノブレイド」での草の表現に使用していた方法でもあるが、本当に賢いと思う。 オープンワールドではないしオブジェクトも多くないからだとも思うが、ゲームの動作がとても軽いので、私のようなローエンドやエントリークラスのパーツで組んだPCでプレイする人に優しいディベロッパーだ。

The Talos Principle。 パズルを解き続けながら、"人であること" を考える。その景色の美しさと寂しさは、自分は確かに生きていると感じさせてくれる。しかしそれは自分が人であるかどうかの証明にはならない。 AIや機械が人ではないということについては多分科学がそれを証明できるのだろう。それでは、AIや機械の類だと判断できる特徴を人が持ち始めたらどうなるだろう。人の脳がテクノロジーによって物理的に外部にあるデータベースを参照できるようになったらどうだろう。同じくテクノロジーによって体の一部を付け替えることができるようになったらどうだろう。科学はそれを人であると証明できるだろうか。もしできなかったら、そのときが哲学の出番になるのだろう。 「われおもう、ゆえにわれあり」はデカルトの命題の翻訳であるが、では他者から我が否定された場合はどうだろう。「あなたはいない」と言われたら。それは矛盾を指摘できるだろう。「あなたは私を認識しているからこそ私に言っているのだ。だから私はいるのだ」と。では私はいないと疑っているその他者はどうか。「われおもう、ゆえにわれあり」なのだから、その他者の我もまた存在している。それでは我と別の我が存在しているというのはどういうことか。私の哲学はいつもそこで終わる。 哲学において "私とあなた" という認識がどういうものなのかは分からない。しかし私が人であるかどうかを考えたとき、他者から見た私というものはとても重要で、それは個と社会に至った。 私の自覚と他者が思う私が一致しなければ、たとえ哲学や科学が私は何者かを証明したとしても、私は居心地の悪さに背を丸めるはずだ。 そんなことを断続して考えながら、まだ解いていないパズルに挑戦している。 哲学は放置しておけばいいが、パズルを放置するわけにはいかない。私はパズルゲームをプレイしているのだから。