Life is Strange
- PlayStation 4/PlayStation3/Steam
- 2016年3月3日(木)
自分は、いつ頃から昔のことを思い出して懐かしんだりするようになったのだろうか。それがプレイしながら感じたことです。 若者2人の話ですが、でもプレイして感じたのは、過去への憧れ ---あるいは美化--- であったり、あの時どうすればよかったんだろうっていう苦悩。 でも、Life is Strange は答えを示してはくれません。プレイの中で悩み、時には悶絶しながら ---本当に製作者を憎んでしまうような選択に--- ゲームを進めていくことになります。 プレイヤーによっては、ただのゲームだ、と割り切らないと胸の苦しさから逃れられなくなる内容もあるかもしれません。
主人公のマックスが、時間を巻き戻せる能力を使って謎を追っていく。なんとなく色々と想像できてしまうのですが、音楽が面白いです。 エピソード形式なんですが、エピソードの終わりごとに流れる音楽が、とても穏やかで、切なくて、懐かしいんです。だけど厳しい部分がしっかり描かれています。いじめ、身の安全とプライバシー、家庭内のトラブル、薬物、銃、雇用、過疎化、ビジネスに街が飲み込まれてしまう様子など。 ツライこと、不安なこと、壮絶なことが起こってたりするのですが、それでも音楽は優しいんです。 その感覚が、まさに自分が若い頃を思い出したときの感覚とピッタリはまっちゃうんです。
ゲームプレイですが、マルチエンディングです (2つしかないのでオルタナエンド?) 。 1周目ではプレイヤー自身が良いと思う選択をしていきました。主人公(あるいは他の登場人物)にとって良い結果に導きたいという感じではなく、自分はこうしたい、こうであって欲しいっていう感じです。 どういうプレイであっても、その体験っていうのは変わらないはずなんです。どんなときに、どんな選択肢が出て、どれを選んで、そうしたらどうなったとか。エンディングが変わるのだとしても、そういう選択をしたからこのエンディングになった、という体験は変わりません。その体験を生かして、自分が見たいエンディングに導く(あるいはエンディングのコンプリート)という形になります。 でもこのゲーム、そこが違ってたんです。
1週目のエンディングは、街が竜巻によってメチャクチャになってしまうというものでした。そしてマックスとクロエの2人は旅に出る、という感じです。 私は "お行儀の良い" 選択肢を選びながら進めていました。気に入らないヤツだとしても仕返しとかしないとか、何かあったら慰めるとか、銃なんか危ないから捨てよう返そうとか。そしてエンディングを見終わって思いました。 「違う進め方をすれば良かった」 これのどこが、"このゲームは違ってた" なのか。 変えたいと思ったのは "エンディング" ではないんです。私は "このエンディングに合った2人の行動" にすれば良かったって思ったんです。 街を救う方法は分かっていました。それは "クロエが死ぬこと" です。クロエが死ななかったことで不思議なことが起こっている、なので死ねば不思議なことは起こらない。 でも私はクロエを死なせないという選択をしました。そして街はメチャクチャに、2人は旅に出る。 死んでいたはずのクロエを生かし街を壊す。マックスのこの選択と、それを受け入れたクロエ。街ではなく2人の関係を選んだ。そんなんだったら、いっそハチャメチャな行動を取れば良かった、銃をぶっ放して、お高くとまった奴らを見返して、映画「テルマ アンド ルイーズ」のように思うがままに ---あるいは狂気のまま無批判に--- 進めていけば良かった、そう思いました。 つらすぎるんです、そうしないと。優しい女の子と、自分が死ねば街は助かると理解している女の子。そんな2人に "自分たちを優先して" 街を見捨てるなんてことをさせるのは、つらすぎます。 でも、ハメを外して思うがままに進み、その中で街は壊れた。こういう流れなら、 「街はメチャクチャになったけど、2人は友達だ、これからも一緒だ」って感じで、そりゃ友達を見殺しにしろって言われたら否定するよね、と思えるかなと ---あくまでも物語として--- 。 それで私は、街がメチャクチャになるんだったら、それに合ってると思う行動を2人に取らせたい、って思い2週目を始めました。同じエンディングだけど、そこまでの過程を変えるためにプレイしました。
そして更に、今度は本当に自分はそうしたいと思う "お行儀の良い" 女の子プレイにふさわしいエンディングを目指しました ---それがあるかどうかは分からずに--- 。 そして迎えたエンディング。 つらすぎ。 結局それかよ、って感じですが。マックスはクロエを見殺しにすること、クロエは自分が死ぬことを選びました。でも、死ぬはずだったクロエとの優しい時間、その間の記憶っていうのはマックスに本当のこととして残ってる。 つらいんです、つらいんですけど、優しい主人公、町を救うために死を選んだ友人そして優しい音楽。この組み合わせが、私が選んだ "お行儀の良い" 女の子プレイにあってるかなって思えました。つらいんですけど。 自分のプレイによって2人を "優しい女の子" と思えるようになったので、このエンディングと合ってるかなって思えました。
このゲームをプレイして感じたのは、「AではなくBというエンディングにしたい」ではなくて、 「そのエンディングに合った行動を選びたい」 というものでした。エンディングを見て思うことがプレイの内容で変わってしまったんです。同じエンディングでも行動の選びかたによって、なんだかスッキリした感じだったり、苦しい感じだったり。 エンディングAを見たときに、「こういうエンディングなんだ、だったらあのとき違う行動を取れば良かった」って思いました。 結果を導くための体験ではなくて、その結果までの過程を体験するという感じです。結果は同じ、でも、その過程を自分で選ぶ。自分に合ったもの、自分が納得できるものを。
マルチエンディングだと、自分はこの行動はイヤだけどAというエンディングを見るためには仕方が無い、って感じることがあったりします。このゲームはそうじゃなくて、あるエンディングを納得できるものにするために、その過程を自分で作り上げる、って感じでした。なんてったって時間を巻き戻せるんですから。エンディングに影響がない選択肢でも、「こんな優しい女の子にあんなエンディングじゃツライよね、だからこうして優しくない女の子にしちゃおう」って思っちゃったりするんです。 でもそれって、プレイヤーによって変わると思うんです。あるエンディングにふさわしい過程なんて人それぞれだと思うんです。 こう進めればこうなるではなくて、そういう終わり方なんだからこうしたい、っていう体験はプレイヤーによって変わると思います。あるエンディングまでの体験を "自分好み" にできてしまうんです。
好きなエンディングのために攻略を進めてもいいし、エンディングに沿って ---変な言い方ですが--- 主人公の行動を決めてもいい。もちろん、ドップリと感情移入して自分がマックスになったつもりで進めてもいい。リスを眺めたりポスターを見て回ったり車をチェックしたりしながら、ゆっくりと。 そして、巻き戻せるって分かってるのに、いちいち選択肢で悩んでる自分に驚いてしまう。 そんなゲームでした。
エンディングに合わせたプレイを目指したい。分かってるのにね、エンディング。2つとも見たんだから。なのに、そのエンディング目指してプレイする。自分が納得できる物語にするために。この感覚が凄く新鮮でした。 人生は選択肢だらけ でも もし 選び直すことができたら 私は、そのエンディングに自分自身が納得できる過程を作ることにしました。