In Other Waters
- Steam/GOG/Nintendo Switch
- 2020年4月3日/2020年11月26日
日本語未対応だったときの感想です。 現在は日本語でプレイ可能です。
「スーパーマリオ64」をプレイして感じた "記号ではないビデオゲームの映像"。その後20年の間に、ビデオゲームの映像は美しい水面を手に入れ、生い茂る草木を手に入れ、光と影を手に入れ、速さや重さという表現さえも手に入れた。そして、その精細で美しい映像はモニターの中に世界を作り出し、私の意識はその世界に住んだ。 やがて、その映像が私にとって当たり前のものとなったとき、ある考えに行き着いた。どれほど美しくなったとしても結局は記号なのではないか……、と。 それからさらに数年の時を過ごし、そして「ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド」に出会った。 ブレス オブ ザ ワイルドには世界があった。草木は確かにそこにあり、川は確かにそこに流れていた。切り立った崖は確かに見上げるほどの、そしてびくびくしながら覗き込むほどの高さだった。それらはハイラルという世界の一部であり、私の意識はそこに住んでいた。 ゲームを終えて、自分の意識を現実に引き戻した後、ある考えに行き着いた。記号だろうと何だろうと結局は自分の想像によってどうとでもなるのではないか……、と。
そして2020年、In Other Waters。 このゲームの映像は、ゲームからプレイヤーに向けた挑戦状のように思えた。 拝啓 昨今は豪華で最先端な映像のゲームたちが、パフォーマンスの不満はゲームの問題なのかハードウェアの性能の問題なのかという意見を戦わせていますが、いかがお過ごしでしょうか。 さて、この度、私 In Other Waters が発売されることとなりました。この私は(UIを除き)映像による意味付けをいたしません。主人公は喋りますが、なんなら喋る犬だと考えても問題ありません。たとえテキストに人間を連想させる名詞やその他何かを示すものが書かれていたとしても、映像により意味を持たせていない以上は、あなたが犬だと思うのなら犬です。環境について逡巡する犬のドラマです。 私にとって、あなたの想像が全てです。私は、あなたが想像した世界にしか存在できません。そして、あなたが想像した世界が私の世界です。 あなたは私の世界を想像できるでしょうか、それともできないのでしょうか。どちらであったとしても、私は、あなたが私をプレイしてくださったことに感謝いたします。 それでは、あなたにとって私の世界が安らぎとなることを願っております。 敬具 2020年4月3日 In Other Waters プレイヤー様 追伸 Steam のページとか見ると普通に人にしか見えない画像付きで紹介されてたりしますが気にしないでください。
このゲームの主人公は丸だ。そして他の生物たちは丸だ。つまり生物は全て丸だ。地形は等高線により高低差が表現されているが、つまり地図だ。地図を青色で描き、対照性がある黄色で生物たちを描いている。 プレイヤーは主人公である丸(以下: 主丸)をサポートするAIだ。この設定によって、個々の記号に意味を持たせる前に、まずプレイヤー自身がAIであるという意味を持たせている。さらに、それらの映像はAIから見た世界であり、主丸をサポートするために必要な情報を得られるのであれば、全てが記号であることに何の問題もないという説明が可能になる。
丸と地図によって描かれる映像、そしてAIとしてのプレイヤー。そこに何があるというのか。私の意識がどこに向かうというのか。その答えを先に書こう。 私の意識は、現実でもなくモニターの中でもない、どこにあるのかは分からないどこかに住んだ。その世界は私と In Other Waters が協力して共に作り出した世界だった。その世界の中で、丸は確かに生きていた。主丸が悩み苦しんでいるのを確かに感じた。主丸と主丸の友達の丸(以下: 友丸)の思いは確かにその世界を彷徨っていた。つまり私は、このゲームの世界を想像することができた。
舞台は Gliese 677Cc という星。そこに主丸が来て私(AI)と出会ったらしい。 主丸は良く話しかけてくる。そして丸たちを調査した結果を教えてくれる。時には好奇心が優先されてしまうようで、丸たちの特徴に一喜一憂することもある。 そして悩みをノートに書くこともある。私はそのノートを盗み見することができる。 主丸は友丸を探している。そうすることで主丸の抱えている疑問や悩みは解決すると信じているようだった。 ゲームの世界を想像するための情報はほぼテキストのみになる。それらを駆使して姿形、声、景色、その他様々なものを想像することになる。それは物理的な何かだけではなく、考え方や気持ちや雰囲気といったものにまで至る。 丸たちの調査は別にこだわらなくてもいい。調査しようがしまいがゲームクリアは可能だ。しかし私は主丸を様々な場所に導き、一緒に調査を進め、その結果を必死で読んだ。そして想像の世界はより広く、より精細になっていった。 私は最早AIではなかった。その記号たちが何者であるかを求めていた。それはつまり、その世界を見るための別の主観を欲しがり、それを楽しんだのだ。主丸がスケッチした丸たちの姿形を見て自分の想像力の不正確さを嘆いた。けれども、そのスケッチは私にとって宝物だった。私はそのスケッチによって、主丸が見る世界を見ることができたのだ。かくして、私の想像する世界は、私の主観と主丸の主観とが入り混じる複雑なものになった。
このゲームをプレイし、私の意識は想像の世界に住んだ。まさしく記号でしかないこのゲームの丸たちは、主丸のスケッチによって何者かになった。主丸が描いてくれなかった景色や物たちは、私の主観によって、ぼんやりとしているけれども、何者かになった。そして、私の意識はその世界の全てを優しく抱きしめることができた。ゲームが示したもの、主丸と友丸の関係によって描かれたものは、つらく厳しいものだったが、だからこそ、丸たちと一緒に過ごした Gliese 677Cc が愛おしかった。 ゲームクリア後、しばらくの間スタートメニューの画面を眺めていた。その時間は10分以上になるかもしれない。画面の端っこを動き回る丸を眺め、可愛いと思った。 しかし、私の意識をいつまでも想像の世界に住まわせる訳にはいかない。私は心の中で "彼ら" にお別れを言い、そしてゲームを閉じた。
In Other Waters を楽しめるかどうかは想像を楽しめるかどうかで決まる。攻略を楽しむ体験は薄いし、コントローラーの操作を楽しむこともない。想像できるかどうかが重要だ。 プレイ時間は10時間未満、ゲームクリアを目指すだけなら5時間程度で終わらせることも出来るだろう。ただし、これは英語ペラペラのペラな人に限る。 私のセーブデータは20時間42分を示している。しかしこれに必死で単語などを調べていた時間を含めると30時間くらいになる。実際に、クリア時の起動時間は30時間を越えていた。これは明らかに作り手の想定するプレイ時間を越えている。つまり私の In Other Waters のプレイ体験は30時間というプレイ時間の影響を受けている。こんな大事なことを最後に示すことを許して欲しい。 ごめんなさい。
書き忘れたことがある。書いているのだから忘れてなんかいないし初めから書く予定だったのだが、便宜上そう表現する必要がある。 In Other Waters をクリアしたときの感覚に私は覚えがあった。これは、例えば「OneShot」などのいわゆるメタフィクション系のゲームをクリアしたときの感覚に似ている。思えば確かに、AIであるプレイヤーに主人公が話しかけてくるという仕組みは、現実の世界にいるプレイヤーにゲーム側から話しかけることで、ゲーム側がゲームの外の世界を認識していると思わせる仕組みに似ている。 まるであとになって思いついたような書き方をしているが、実は違う。私はSteamストアで In Other Waters の設定を読んだとき、これは OneShot のような体験になるのではないかと期待していたのだ。もちろん、クリア時の感覚は似ていたけれど、プレイ体験自体は別物だった。 以上、これをこの感想の落ちとしたい。